ハンク・ウイリアムスとジャンバラヤ

yukoz2006-03-17


この頃、南部料理にすっかりはまってしまって、今日もチキンとソーセージのジャンバラヤとコーンブレッド。(前回の写真とほぼ同じ構図ですが、今回はエビは入れずに鶏肉とソーセージだけのジャンバラヤです。

料理をしていて一番楽しいと思うのは、このジャンバラヤを作っている時かもしれない。ぴりりと辛いケイジャン・スパイスで下味をつけた鶏肉とソーセージを大鍋で炒めていると、ぴりっと刺激的なスパイスの香りが部屋中に立ちこめる。大きなタマネギとセロリとベルペッパーを粗めのみじん切りにざくざく切るのも豪快でいかにも南部らしくて楽しいし、オリーブオイルで鶏肉類を炒めた後の大鍋で、これらの野菜を炒めてからニンニクと月桂樹の葉とスパイスを加えると、さらにケイジャン料理の勢いのある香りが立ち上がる。もう気分はすっかり南部人である。この大鍋に他の材料(鶏ガラスープとトマトと米とウスターソースとホットソースとケイジャン用スパイス各種と塩こしょう)を全部どばっと入れて大きく混ぜながら沸騰させ、蓋をして15分、途中で先ほど炒めておいた鶏肉とソーセージを加えてさらに10分。炊きあがったら10分間蓋をしたまま蒸らして、仕上げにたっぷりの青ネギを散らす。米は炒めずにスープと一緒に加えてそのまま炊いた方が、味がよくしみこんで美味しい。

ハンク・ウイリアムスのカントリーソングをBGMに聴きながら、ジャンバラヤを作るのはとても楽しい。ハンク・ウイリアムスが歌う「ジャンバラヤ」の歌は、まさにケイジャン料理のスパイスが強烈に立ちこめる台所で、大皿料理のジャンバラヤを皆でわいわい言いながら食べているような素朴な幸福感に満ちている。地面にしっかり足をつけて生きている南部の人々の台所で作られるジャンバラヤは、彼らの生のエネルギーを注がれて完成し、新たに明日を生きるエネルギーを与えてくれる。ジャンバラヤを作っていると、そんな明るい元気な南部の人々の営みが目の前に浮かんでくる。

* * * * * *

ウィキペディア英語版の解説によると、ハンク・ウィリアムスは1923年にアラバマ州ジョージアナに生まれた。誕生時に潜在性二分脊椎と診断され、生涯その持病に悩まされ続け、その耐えがたい痛みから逃れるためにアルコールとドラッグを乱用し、29才の若さで他界した。

10代ですでにギター片手にアラバマ州を渡り歩き、13才の時、家族がアラバマ州モントゴメリーに移住した折に「Drifting Cowboys (放浪するカウボーイたち)」というバンドを結成した。24才で初デビュー作となったシングル盤2枚は大ヒットとなり、MGMと契約。その年録音された「Move It On Over」は全米でメガヒットを記録した。その後、ハンク・ウイリアムスは破竹の勢いで次々とカントリーソングのヒット曲を世に出し続けるが、その私生活はけっして平穏なものではなかった。波乱に満ちた最初の結婚と離婚、持病の脊椎の痛みから逃れるためにモルヒネとアルコールを乱用し続けたあげく、体はぼろぼろに。1953年の元旦、オハイオ州のコンサート会場に向かう途中にホテルで痛み止めのモルヒネを大量に打ち、ウイスキーの瓶を片手に運転手付きの車に乗るが、途中ガソリンスタンドに車を止めた時、キャデラックの車内で死亡しているハンク・ウイリアムスを運転手が発見した。二度目の結婚後3ヶ月も経たないうちの他界だった。

ハンク・ウイリアムスが最後に録音したシングル盤のタイトルは、「I'll Never Get Out of This World Alive」(生きてこの世は出られない)。このタイトルと略歴から連想される悲劇性と、そのかけらを微塵も感じさせない、からりと晴れた南部の昼下がりを思わせるハンク・ウイリアムスの陽気なのほほんとした歌声ほど、ミスマッチなものはない。