インド料理の香辛料


味覚というのは聴覚に似ていて、鍛えれば鍛えるほど鋭敏になっていくような気がする。ちょうど「音楽にじっと耳を澄ます」というような感覚で、舌で味を分析するというのを意識して物を食べるようにしていると、漠然とした味の集大成の中に様々に違う刺激が入り交じっていることが次第に見えてきたりする。

それでも、インド料理の味を分析するのはものすごく難しい。バジルやオレガノなどの西洋料理のハーブは料理の中で入り交じっても各々の香辛料の個性が際立って感じられるけれど、インド料理のスパイスというのは、数種の香辛料が入り交じった瞬間に各々の個性が薄れて一つの大きな味の中に溶けてしまう感じがある。そこには数種のスパイスが隠れていることはわかるのだけど、その種類や割合は謎に満ちていて分析が難しい。たくさんの楽器が鳴っているのはわかるのだけど、いったい何の楽器がどこでどんな音を出しているのかわからない音楽に似ている。ぴりっとした刺激や甘みやコクが清々しさが随所に入り交じり、唯一わかるのは「カレーの味」がするということだけだ。いつか本格的なインド料理を作ってみたいと思いつつも、今までつい躊躇してしまっていたのは、このスパイスの複雑な構成がいまいち把握できなかったからだった。

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■NYのインド食材専門店


マンハッタンのレキシントン通りの28丁目付近には、インド料理の食材専門店が数件軒を連ねていて、ここに行けば本格的なインド料理のスパイスから自家製のチャツネやパン類の他、インドのみならずアジアや中近東各国の調味料などが手頃な値段で買える。この店の香辛料の品揃えの豊富さと新鮮さはNYでも有名で、米だけでもなんと30種類以上の品揃えがある。特にここのジャスミンライスは感動的に美味しいので、タイ料理用にいつも買っている。ひと頃日本では輸入タイ米の味のひどさが取り沙汰されていたけれど、新鮮なジャスミンライスというのは米粒の一つ一つが真珠のように白くつやつやしていて、炊くとこの上なく香ばしいジャスミンの匂いが部屋に広がり、食欲をそそるものなのだ。アメリカのスーパーで売っている普通のジャスミンライスは、これに比べると見た目もくすんだ色で冴えなくて、味も香りもかなり落ちる。

一年ほど前、このインド食材専門店に通い始めた頃は、あまりの香辛料の種類の豊富さに怖じ気づいて何を買ったらいいのかわからなかったのだが、その後インド料理の本やレシピをいろいろ研究しながら、カレーやタンドリーチキンにどんなスパイスが使われているかを調べ(これもレシピによってまちまちなので大変)、ようやく最近になっていくつか基本となるスパイス類を自分で購入してみた。上の写真にあるのは、最近タンドリーチキンとバターチキンカレーによく使うスパイスで、ガラムマサラ、カルダモンの実、ターメリック、チリパウダー、フェヌグリーク・リーフ、サフラン、カイエンペッパー、ベイリーフ、クミンの種、コリアンダー、アーモンドのスライス。また、バジルやオレガノやタイムなどの西洋ハーブや中国の五香粉なども、新鮮なものがビニールパック入りで売られていて値段も手頃だ。シナモンスティックも本当は加えたいところなのだけど、先日他のスパイスを買いすぎたのでまた次回に(汗)。

カレー料理では、最初にたっぷりの油でシナモンスティックやクミンの種やカルダモンの実など、3種類くらいの香辛料を炒めて油に香りをつけるのだけど、この組み合わせはカレーによって異なる。この後にニンニクとショウガのすりおろしやペーストを大さじ2ずつ位炒めてさらに香りをつけ、そこへタマネギ大1個分のみじん切りを加えて長時間、茶色くなるまで炒める。ここでしっかりタマネギを炒めておかないと、カレーのコクと甘みが出ない。インド料理に使われる油脂「ギー」(水牛の乳を原料とした高純度バター)は消化を助ける働きもあるそうで、本当は使ってみたいのだけど、この「ギー」のためにカレーを食べるとお腹を壊す人がアメリカには多いので、代わりにオリーブオイルを使っている。(つづく)

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■追記


ニューヨークのレストランや食材店の面白いところは、いい加減な店は味も品質もとことんいい加減なのだけど、こだわる店はもうそこまでやるかというくらいマニアックに味や品質や品揃えにこだわっていることだ。このとらえどころのないアバウトなアメリカ人社会の中で、そういう超マニアックな職人肌の移民という人たちが各人種に一人か二人は住んでいて、自国でもちょっとそこまでこだわる人はあまりいないんじゃないかと思うくらい、とことん本物の味を追求していたりする。アメリカ人の中にも、たとえば南部のチリとかニューオーリンズ料理の味を正確に再現すべく、おいしい料理を作っている人たちがいる。たいてい無愛想でものすごく神経質だったりして、見た目は近寄りがたい偏屈おやじ風の人が多いのだけど(アメリカ人にもそういう人がいるのは嬉しい発見だ)、店の品揃えや味にはびっくりするくらい繊細な心配りが行き届いていて、実はいちばん親切だったりする。

そういう人が経営する食材店では、日本にたとえるなら紀伊国屋明治屋でも及びがつかないくらいの豊富な品揃えで新鮮な食材が、高円寺の商店街の八百屋並みの値段で安く手に入ったりする。ニューヨークも最近はアートなどに関しては今いちこれはと思えるものに出会えないのだけど、世界各国の料理を本格的に(しかも素材を安価に入手しながら)学びたい人にとっては、イタリア料理やインド料理や中国料理や韓国料理やタイ料理の味をレストランなどで実際に自分の舌で確かめつつ、コツや決め手の調味料などをその国の伝統の味を知っている店主に直接尋ねたりしながら、日々貴重な知識を学べる宝の山のような場所だと思う。