甘く優しい日本の記憶


アメリカで暮らしていると忘れてしまいそうになりながらも、時折何かのはずみでふと思い出される、甘く優しい日本の記憶というのがある。春風の匂い。春の宵のぬくもり。夏の午後にアスファルトの上で揺れる白い光と影。夏の夕暮れの匂い。蝉の声。虫の声。秋の最初の空気に触れた時に心が受け止める刺すような痛み。晩秋の夜の深い闇。冬の朝の透明な空気。雪が降った翌朝の厳かな静寂。

こうした日本にいた時に体験していた心の震えは、後天的に身につけた感覚というよりも、おそらく日本人としてのDNAの中に受け継いできた感覚なのではないかと思う。それは、たとえば外国の風景を見た時に、その色彩と形の美しさに心を奪われるというような表層的な感覚の反応ではなく、目前にした風景や色や形などの実体を超えて、その現象の奥深くに存在する何かが、自分の核の部分に共鳴し、理由のわからない「懐かしさ」を呼び起こすということではないかと思う。

人には、それぞれに好きなもの、嫌いなものという嗜好や傾向というのが生まれながらに備わっていて、生後の体験もまたそうした傾向を形作っていく。好きな色、嫌いな色、好きな外国の風景といったものも、その人の傾向と結びついていると思う。でも、DNAの中に受け継いでいる嗜好や傾向というのは、またそれとは少し違うような気がする。若い頃には全然好きではなかったものが、ある年齢になってから、なぜか好きになっている自分に驚くこともある。若い頃には海外にしか目が向いていなかった人が、年をとると日本の良さを再発見して日本の伝統や文化を愛するようになるというのも、海外在住の日本人にはよくある。

日本で生活していた間に後天的に身についた「嗜好」や「傾向」というのは、個人の体験を経て身についた感情的な心の反応に基づく環境への評価であり、喜びや哀しみなどの個人的な記憶と密接に結びついた、いわば偏った評価でもある。こうした日本に対する過去の思い込みが、外国生活を送るうちに自分の中で次第に薄れていくのに気づいたのは、この1、2年のことだった。渡米して3年が過ぎた先月、久しぶりに日本を訪れた時に、その変化に愕然とした。日本が変わったのではなく、日本を見る自分の心の目が変化していたのだ。自分にとっての「日本」は、もはや個人史というしがらみに絡みつかれた日本ではなく、そうした付加的なもの(感情や感傷による反応)を一切削ぎ落とされた、まっさらな存在として心の目に映る「日本」だった。

育つ間に身についてしまった自国や同国人に対する偏見や嫌悪が「異国体験」を経て取り払われた時に、初めてクリアな目で「日本」の本当の美しさや価値が見えてくるのかもしれない。言葉にすると陳腐に聞こえるが、これは実際に自分で体験してみると凄いものがある。自分の中でそれまで強固な壁を作っていた大きなものが長い時間を経て崩れさり、その残骸の中に、決して損なわれることのない、まばゆく光る宝石の原石を見つけたような感動である。その「日本」という原石は、道ですれ違う名前も知らない人々の表情の中にも、忘年会帰りの若者や会社勤めの人たちでごった返した満員電車の中にも、慣れない手つきでクリスマス用の包装紙に品物を包もうとするアルバイトの店員の一生懸命さの中にもある。そうした一つ一つの「日本」を心から愛しく思える自分になれたというのは、素晴らしい体験だった。