大友良英『Core Anode』(meenna-332)

yukoz2008-07-26

http://www.ftarri.com/cdshop/goods/meenna/meenna-332.html

この作品については、様々な人の評や感想をあちこちで読んでいたけれど、個人的にはライブで聴いたことが今までなかったこともあり、『Core Anode』という作品をじっくり聴くのは、実はこのCDが初めてだった。

複数の演奏者達が打ち鳴らす轟音の中に、いろいろなものが浮き出てくるような気がする音楽だ。一貫したリズムとフレーズが、一貫した強度で繰り返し演奏されているようでいて、実際には見過ごされそうなほど微細な変化が随所で起こり、決して単調な音楽にはならずに、常に新鮮な響きを伴っている。あたかも、マクロの巨大なノイズの渦とミクロの音の細部といった、両極端の世界を同時に体験しているような感覚がある。2001年にNYのトニックで聴いた、セシル・テイラーとトニー・オックスリーのデュオ(たった2人で演奏しているのに、あたかも20人位が演奏しているかのような凄い音)を聴いた時の印象にも似ていると思った。分厚い音の層なのに、のしかかるような重さや圧迫感は不思議となく、清々しく風通しの良い清浄な空気を感じさせる点が、『Core Anode』と似ているのかもしれない。激しく鼓動する生命を感じさせる音楽であると同時に、その中核には、あたかもその渦をじっと静観しているような、深い瞑想を呼ぶ静寂がある。

こうした轟音の中の清浄な空気や、マクロ的感覚とミクロ的感覚を同時に体験させる音楽というのは、他にもジョー・モリス(ギター)などのNYダウンタウン・シーンのライブや、フリージャズの演奏でも体験したことがあるが、大友氏の『Core Anode』には、そうした過去の音楽の古さを感じさせない新しさがある。深夜のクラブでDJがかける大音量の音楽に全身を浸し、トランス状態を体験している時のようなコンテンポラリーな陶酔感もあるのだ。

土砂降りの雨のように降り注ぐ轟音の渦の中心に、ぽっかりと、不思議に心が安らぐ静穏な世界が存在している。その安らぎの中心に身を浸していると、周囲で激しく打ち鳴らされている無数の音の存在が、いつしか意識の中で薄れ、遠のいていく。それは、現実とは別の世界にふと入り込んだような、心地よい錯覚でもある。

この数年に聴いた大友氏の作品の中で、特に素晴らしいと思うアルバムだ。というか、メゴのピタの『Get Out』を初めて聴いた時のような、もの凄い作品に出会ったという感動を覚えた。個人的に轟音系が好きだというのもあるけれど、こういう脳を覚醒させる作用のある音楽は、ポジティブな方向へ人類のエネルギーを導いてくれるような気がする。『Core Anode』をライブで聴いたことはないのだけど、このアルバムは、あたかもライブの現場で聴いているかのような臨場感と迫力があると思う。

ところで、このアルバムのカバーは、昭和50年の吉祥寺の写真らしい。私が小学生の時に初めて吉祥寺に行ったのは、まさにこの年だったので、もしかしたら写真の中に自分もいるんじゃないかと思わず探してしまった。当時、吉祥寺で「自然クラブ」という昆虫の生態を観察するオタク小中学生向けの市のサークルがあって、ちょうどその頃、毎週土曜日に電車で吉祥寺に通っていたのだった。なので、このジャケ写真を見ると、当時のいろいろなことを思い出して懐かしい。