雑感


そういえば、もうフリージャズというのは聴かなくなったなあとつくづく思う。時代との適合性に違和感を覚えるというだけでなく、個人的に社会や環境への反動精神というものを必要としない生き方を身につけたせいかもしれない。思えば、フリージャズを聴いていたのは、日本の社会のしがらみやルールといった因習的なものから脱出したいという気持ちが強かった頃だった。そこからすでに抜け出して、自分なりの自由な生き方を見つけたこともあるが、現代のようにすでに過去の因習的な価値観や画一的なフォーム(音楽やアートに関しても)が崩壊し、様々な価値観や方法が認められるようになった自由な環境の中で、かつてのフリージャズが持っていた破壊と混沌と撹拌のエネルギーが、妙にちぐはぐに感じられてしまうせいかもしれない。すでに、世界中のあちこちで、これだけ様々なモノが破壊されつくされ、撹拌され、混沌を経てしまった後には、別の方向へ向かうエネルギーが求められるような気もする。

今、聴きたい音楽といって思い浮かぶのは、たとえば静寂の中のバランス、混沌を清浄な空気へ導く音楽、身を引き絞るような感情のあらわな表現やエゴから解放され、限りなくシンプルな表現へ近づく音楽だ。空気を貫くようなアコースティックな弦の音や電子音(と言っても、けっして強烈な自己主張ではなく、空気中の分子に溶け込むような自然なサウンド)に惹かれるのも、そのためかもしれない。


フリージャズと言っても、たとえば現代のNYのトニー・マラビーのように、きわめてパワフルでアブストラクトな即興演奏でありながらも、絶叫と混沌に陥るのではなく、大らかなサウンドで瞑想に似た空気を生むサックス奏者もいる。彼らの演奏は、何かを吐き出すというよりも、むしろ逆に汚れた空気を思い切り吸い込み、その空気を浄化して還元しているかのような感覚があり、聴いていてとても清々しい。ジャズの未来というのがあるとしたら、やはりあの辺にあるのではないかという気がする。