Sachiko M / Sean Meehanのデュオ @ The Menil Collection (from 2007)

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米ヒューストンの「メニル・コレクション」美術館で開催された〈sound observations〉2日目のライブは、同敷地内のリッチモンド・ホールでのSachiko M(サイン波)とショーン・ミーハン(パーカッション)のデュオだった。リッチモンド・ホールは、広々とした長方形のコンクリート打ちっ放しの部屋で、左右の壁にはダン・フレーヴィンの蛍光インスタレーションが展示されていた。

Sachiko Mとショーン・ミーハンは、この長方形の部屋の中央で、互いの間に15メートルほどの距離を置いて向き合う形で、各々の楽器を設置した。演奏者2人の左右の長い空間には3列の観客席が並べられ、観客はフレーヴィンのインスタレーションと演奏空間の間にはさまれる形で座った。メリル・コレクションの常連とみられる地元の美術愛好家多数と、この2人を聴くために集まった音楽ファンを含めて、100人ほどの観客が客席を埋め尽くした。

演奏は、Sachiko Mのサイン波で始まった。白く細い光線のようなサイン波がリッチモンド・ホールの広い空間を貫く中(カラフルなフレーヴィンの蛍光インスタレーションの中で、その白い音は凛として美しく響いた)、ショーン・ミーハンは長い間じっとうつむいて聴き入ったまま、彼自身は一切の音を出さなかった。時折、 Sachiko Mのサイン波のトーンが微かに変化することを除いては、音楽自体に大きな変化はみられないまま、20分以上が過ぎた。その間、観客の中には居心地悪そうに体の向きを変えたり、周りをきょろきょろ見回す人も出てきた。期待していた音楽とは違う「異質」の音楽に接してしまい、どうしたらよいかわからないという戸惑いが、客席の中から無言のうちにも伝わってきた。美術館の展示を鑑賞に来るような気持ちで気軽に訪れた人の中には、Sachiko Mのサイン波が与える強度の緊張感(それは同時にこの上ない安らぎにも感じられるのだが)に明らかに戸惑っていたようだった。

私自身も観客の一人として、演奏の中盤までは、いつもとは違う居心地の悪さを感じ続けていた。おそらくそれは、演奏者の左右をはさむように展示されたフレーヴィンの蛍光インスタレーションが無音のうちに放つ強烈な個性と存在感と、演奏家たちを取り囲む観衆(多くはこの美術館を訪れる美術愛好家であり、この種の音楽とは無縁の人たち)と自分との間に感じる違和感、そうした「異種」としての観衆と演奏者2人との間に感じる違和感、それらの様々な違和感が入り混じって生まれた居心地の悪さだったように思う。

同じ部屋に展示されたアート作品というもう一つの共演者、演奏に居心地の悪さを感じて次々と去って行く「異種」としての観客の存在、その中で Sachiko Mが行った演奏は特筆すべきものだった。周囲のざわめきに気を散らされそうになりながらも「自己と向き合う」姿勢を終始保ち続け、まばゆい光のインスタレーションや立ち去る観客の動きにも影響されることなく、彼女は自分自身の中からサイン波を放ち続けた。それは、理解されない相手を力づくで説得しようとしているのでは決してなく、「異種」である自分に対する開き直りというのでも決してなく、その場の空気に置かれた「この一瞬」の自分と嘘偽りなく向き合おうとしているという、毅然とした、それでいてその場の何もかもを受け入れるかのような無理のない自然な演奏だった。落ち着きなく動きつづけるその場の空気の中にしっかりと両足で立ち、揺るぎない自己を維持しているようにも感じられる演奏だった。

演奏が始まってから20分以上経った頃に、Sachiko Mのサイン波に変化が生じ、そのわずかな「揺れ」のすき間に、ショーン・ミーハンの音が入り込んだ。スネアドラムに立てたスティックを震わせながら、ミーハンが沈黙ではなく「音」でデュオに加わった後も、2人の音はしばらくはふさわしい解決点を見つけられないまま、空をさまよっているように思われた。

その間にも、観客のうち何人かは、しびれを切らしたように立ち去って行った。30分後位には、すでに半分近くの観客が去っていたかもしれない。それでも、2人は途中で演奏を中断することなく、ゆっくりとしたペースで演奏を続けた。聴衆におもねるような「魅力的な音」や変化を安易に投じて、席を立ちかけた多くの観客の気を引いて思いとどまらせようなどとはしなかった。自分たちにとっては必要とは思われない余計な「色づけ」は一切加えず、演奏を素のままのかたちで提示し続けていたことに、彼らの決然とした意志と勇気を感じた。

50分ほど経った頃だろうか、ミーハンのスネアドラムから出る音が次第に高まり、彼にしては珍しいほどの積極的な音が出始めた。Sachiko Mのサイン波の音も同時に変化した。長い距離を隔てた2人のそれぞれの音が、長い時間と広い空間の中で「音楽」として融合したのは、その最後の20分だったように思う。私がそれまで感じていた「違和感」は、その時点ですっかり消えていた。フレーヴィンの蛍光インスタレーションの存在感を、2人のデュオの存在感が上回ったように感じられた20分間だった。それでも去っていく観客は去っていったし、その音楽の変化に気づいた数人の観客は息をのんでその場に留まっていた。そして長い70分の演奏が終わった時、最後まで席を立たなかった4分の1ほどの観客は、2人に惜しみない拍手を送った。

納得のいくデュオ演奏に至るまで、70分という長い演奏を続けた彼らの勇気に、即興音楽と真摯に向き合う演奏家の意志と力を見たような気がした、忘れがたいライブだった。