9・11とその前後


 9・11事件からもう5年目になるのですね。時間の流れにちょっと唖然。映画「ワールドトレードセンター」はやはりまだリアルすぎる気がして、ちょっと観に行く気がしないけれど、政府関係者の間が放送中止を求めているというABCテレビの2日連続の5時間ドラマというのは、見てみたい気もする。もし政治家に絶賛される内容だったらうさんくさいけれど、中止や修正を求められているということは、それだけ真実に近いのではという気がする今日この頃。(と思ったら、これもけっこう制作側が勝手に作り話を盛り込んであるそうで、信憑性はあやしいとか。どうしてメディアってそういうことするんでしょうね。)

 もう5周年ということは、アウトゼア誌にあの、それいけNYダウンタウン日記を書いていた時からもう6年も経ったのかと、それも唖然。と同時に、6年で世の中はこうも変わってしまうものなのかと、それも驚き。ローレン・コナーズが、まだあのハロウィン恒例のバンド「Haunted House」のライブで弦が切れるまでギターを弾いていて、ステファニー・ストーンが今は亡きご主人のストーン氏と一緒に毎日のようにライブにやってきて、ワールドトレードセンターがまだあった頃。ニューヨークのダウンタウンというのは、何十年経っても変わらない場所なのかと思っていたけれど、WTCがなくなってから急速度にいろいろな物事が変わっていったような気がする。市の構想によると、6年後の2012年には、街の様相もかなり変わっているだろうという話だし、老朽化した地下鉄も、運行スケジュールの表示や車内アナウンスが自動デジタル化するそうだし(今月から一部の路線で試運転が始まったとか)。トニックの隣には、奇怪なデザインの青い高層ビルが建ちつつあるし。

 かつてアウトゼア誌に書いていたニューヨーク日記は、もちろんすべてが事実なのだけど、あれはある意味で、自分の置かれた状況をどれだけフィクション風に描けるかという試みでもあり、人間の想像力というのはここまで自分の周りの風景を変えてしまえるのだという体験談でもあったと思う。なので、あれは「ニューヨークというのはこういう場所です」と読者に説明したわけではなく、個人の視点(アングル)と思い込みと狂気次第では、ここまで人生を楽しく彩ることが可能なのだという、あくまでもひとつの試みであり。初めてニューヨークを訪れてから7年も経ってしまった後では、もう「マンハッタンは巨大な遊園地」などとは思えなくなるだろうという、やがて来る現実に対するひとつの反抗でもあったかなと。ニューヨークが悲しみに包まれる前に放った、最後の打ち上げ花火。マンハッタンが遊園地に見えることは、もう二度とないだろうと思うと、それも悲しいけれど。