和食の味


日曜の朝、目が覚めたら窓の外に雪が積もっていた。しんと静まり返ったキッチンで、昨日ミッドタウンの日系スーパー(日本の狭いコンビニにそっくり)で買ったごぼうを使って、きんぴらごぼうを作る。おいしい味醂を見つけてから、煮物を作るのが楽しくなった。昔、丸谷才一という人の「文章読本」を読んでいたら、宇野千代だったかな、日本の女流作家が二人で交わした往復書簡が載っていて、その中に年の暮れに黒豆を煮ながら二人の女流作家がそれぞれに友人である相手に書いた手紙の一節があって、それが妙に心に残っていて、アメリカのキッチンで煮物を作るたびになぜかその手紙のことを思い出す。詳しいやりとりは覚えていないのだけど、どちらかが「今日は一日がかりで黒豆を煮ながらこの手紙を書いています」と書くと、もう一人が「私も今日はストーブの前で一日がかりで黒豆をぐつぐつ煮ています。あなたの煮た黒豆はどんなお味がするのかしら、と思いながら」というような返事を書く。それだけのやりとりなのだけど、なんというか人生の浮き沈みをすべて通り越して静かに暮らす初老にさしかかった二人の女流作家が、それぞれの家のストーブの前で、「黒豆を煮る」という年の暮れの家事に一日費やしているという情景に、何かとても日本的な心を感じた。おせち料理用の黒豆を煮るというのは、水を差し替えたり一晩豆を煮汁に漬け込んだりという手間のかかる作業を何度も繰り返すのだけど、その手間ひまをかけたのんびりとした時間の流れの中に、人の暮らしの心髄にある静けさや、時代を超えて引き継がれていく日本人の心持ちが隠されているように思う。…なんてことを考えながら作ったきんぴらごぼうは、玄米ご飯に合ってとてもおいしかった。