感謝祭の料理


今日は感謝祭の日。アメリカの感謝祭というのは日本の正月のようなもので、こちらの人たちにとってはクリスマスよりも大事な祝日らしい。朝から通りはしんと静まり返っていて、どこかで子供たちが凧揚げでもしてるんじゃないかと(してるわけないが)思わせるくらい、日本の正月の朝に似ている。

今年の感謝祭はアメリカに引っ越して1年経ったことだし、家でローストチキン(ターキーはあまり好きではないので)を作ることにして、昨日はいつも買い物に行く9丁目のスーパーに、丸ごとの鶏とジャガイモなどの野菜を買いに行った。感謝祭の前日のスーパーというのは、日本の大晦日の商店街のように賑やかで客も店員もうきうきしている。ふだんは荒っぽくて愛想の悪いレジの黒人のおねえさんたちも機嫌が良くてニコニコしてるし、肉売り場のおじさんたちも目をうるうるさせながら、歳末大売り出しみたいなノリで山積みの七面鳥や鶏を売っている。1年通い続けたせいか、この肉売り場のヒスパニック系のおじさんたちともすっかり顔なじみになって、「やあやあ」という感じににこやかに応対してくれるのが嬉しい。アジア人があまり来ない店なので、こちらに引っ越した当時はうさんくさそうな目でじろじろ見られて買い物にくるのが嫌だなーといつも思っていたのだけれど、石の上にも三年とはこういうことなのか、がまんして通い続けてよかったとしみじみ実感した。感謝祭という誰もが温かな幸福感を発散させている日がなかったら、アメリカで暮らすというのは大変だろうなとつくづく思う。どんなに日頃、ああアメリカってニューヨークって何てがさつで無神経で住みにくい所なんだろうと気が滅入ることばかりあっても、この感謝祭の前日の、白人も黒人もアジア人も皆うきうきと幸せそうに目を潤ませているのを見ると、ほんとに心から幸せな気持ちになれる。



丸ごとの鶏をオーブンで焼くのは初めてなので、うまく焼き上がるかなと心配だったのだけど、先日のニューヨークタイムズ紙の料理欄に載っていたレモン&ハーブ風味のローストチキンのレシピと、ネット上で見つけたレシピをいくつか参考にして作ってみたら、なかなか良い感じに仕上がった。鶏の全体に塩とコショウを振りかけてから、ハーブ(ローズマリーとパセリとセージとタイム)を各大さじ半分、にんにくのみじん切り大さじ2を混ぜたものを鶏の表面の皮と肉の間にすりこんでおき、塩とコショウも皮の下にまぶし、レモン汁1個分と酒(本当は白ワインがいいらしい)と塩を混ぜたものをビニールパックに入れて、その中に鶏を入れて数時間浸けておく。焼く前にはオーブンを425度(CではなくてF)に温めておき、鶏の水気を拭き取って、鶏のお腹にレモン1個を4つ切りにしたものとベイリーフ2枚を詰めて、鶏の表面にオリーブオイルをたっぷり塗ってからオーブンで1時間ほど焼き、温度を375度に下げてさらに10分ほど焼く。鶏と一緒に、タマネギと人参とニンニクを乱切りにしたものも乗せて野菜のローストも作り、付け合わせにはマッシュポテトと、櫛形に切ったジャガイモをオリーブオイルとローズマリーと塩こしょうにまぶしてオーブンの下段で30分ほど焼いてローストポテトを作った。焼き上がった鶏を皿に移して20分ほど休ませ、その間に鶏の焼き汁を使ってグレービーソースも作る。このグレービーソースはレモンの味がほのかにきいていて、とてもおいしかった。

ローストチキンを食べるならグルメスーパーなどでも焼き上がったものを手軽に買えるし、わざわざ手間をかけて自分で焼くこともないような気もするけれど、こういう料理は食べるという行為よりも「作る」という行為に何かとても深い満足があるような気がする。いつもより気合いを入れて鶏の下ごしらえをしていると、長い間忘れていた音楽の断片がふと頭をよぎったり、日本の家族や昔の友人のことを何とはなしに思い出したり、この1年に起きたさまざまな出来事が思い出されたりする。こういう無心に何かを作る時に素材と向き合う心持ちというのが、祝祭日の料理の意義なのかもしれないなどと思ったりする。

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追記: 残ったローストチキンは骨から外しておき、翌日にイタリアのパン(カモノハシのくちばしみたいな形の平たいパン)にはさんでパニーニにして食べました。パンの両面にオリーブオイルを塗ってから、中にトマトとモッツァレラチーズとバジルの葉とチキンを挟んで軽く塩こしょうして、グリルで両面を焼きました。