Michael Pisaro / Greg Stuart - July Mountain (eg.p05) 和文


マイケル・ピサロの一連の作品を聴き込んだ後、日常の環境音に対する自分の聴き方がいつの間にか変化していることに気づいた。今までただの外部ノイズだと思っていた環境音の一つ一つに、音楽と同じような音程が隠れていることに気づき始めたのだ。気がつくと、ヒーターの音や換気扇の音、水の流れる音、鳥のさえずり、遠くで車の通りすぎる音、そうした日常的に耳にしていた音が、あたかも音楽を構成する音程のように耳を惹き付けている。音楽とは、人間の手で演奏される音の連なりだけでなく、環境の中で自然に生まれている音の連なりの中にも存在するのだと気づいた時、もし人間と自然が一体になってハーモニーを生むとしたら、どんな音楽が生まれるだろうか…という興味に辿り着く。

音楽を聴いて、その強烈な力に打ちのめされる…という経験はそうめったにあるものではないが、この「July Mountain」を初めて聴いた時、まるで強い風に吹き飛ばされたかのような衝撃を受けた。環境音と楽器の音が、単にバランスよく融合しているというよりも、そこには何か、人間や自然の力を超えた圧倒的なパワーと美しさが生まれているように思えた。

英国のレーベル〈engraved glass〉から先月リリースされたマイケル・ピサロとグレッグ・スチュアートの「July Mountain」(3-inch CD)は、マイケル・ピサロが2006年から2009年にかけて主にロサンゼルス近郊の山間部で録音した20種類のモノラル・フィールドレコーディング素材と、グレッグ・スチュアートの演奏による10種類のパーカッションの音を、クロスフェードでミックスさせた21分間の作品だ。

ここでは、グレッグ・スチュアートが演奏する、ドラムの摩擦音、木製打楽器を弓で引いた音、スネアドラムを弓で引いた音、サイン音を共鳴面に共鳴させた音の録音、ピアノ、ベルなど、10種類のパーカッションから出る様々な音が使われ、音程や周波数で細かく分類すると143種類の音が使われている。この10種類のパーカッションの音と、20種類のフィールド・レコーディング録音の各パートの音が順番に入るタイミングと音の抜けるタイミング、曲中に現れる回数は、あらかじめスコアに緻密な時間指定で指示されている。ピアノの音の入るタイミングと音程も、スコアに記されている。曲中では、20種類のフィールド・レコーディング素材のうち、常に10種類の音素材が同時に鳴っているように構成されている。スコアの冒頭には、ウォレス・スティーブンスの詩「July Mountain」が記されている。

冒頭、雨音に混じって、小鳥のさえずりや人のざわめき、頭上を通りすぎる飛行機の音、車の音などが聴こえている。日常、違う場所で聴こえるはずの音の数々(10カ所の違う場所で録音された環境音)が同時に鳴っているのに、各々の録音の再生音量が絶妙のバランスで保たれているので、混沌とした感じや違和感は全くなく、同じ一つの時間と空間に存在する環境音のようにしっくり溶け合っている。ここでは、パーカッションの音はほとんど聴き取れない。

時間の経過と共に、ヘリコプターの音やカモメの鳴き声、波の音なども聴こえるようになる。環境音の種類がゆっくりと少しずつ移り変わっていく推移があまりにも自然なので、別々の場所で録音されたフィールド・レコーディング素材に切り替わったというような唐突な印象は全くない。目の前の風景と時間が、気づかぬうちにゆっくり重なりながら動いていくような不思議な移動感覚がある。

8分後、自然界の音の中に,突然、力強いタッチのピアノの和音が響き渡り、音風景の様相ががらりと変わる。約20秒の間をあけて、やや張りつめた響きをもつピアノの和音が鳴るたびに、それまで聴いていた環境音の聴こえ方が少しずつ変わっていく。飛行機の音、カモメの声、子供の声、水の音などが、何かを訴えかけようとして声を上げているかのように聴こえてくる。それまでバラバラに存在していた環境音が、ピアノのもたらす和音と旋律によって、一つに結びつけられていくような印象がある。いつの間にか、パーカッションも、静かに環境音の奥深くに枝葉を伸ばし続けていたかのように、複雑な音の層を生んでいる。グレッグ・スチュアートの、パーカッションそのものの音を突出させず、あたかも環境音の印象を増幅させる裏方のような存在として、音楽を劇的に高めていく手腕が見事だ。どんなにパーカッションの音が高まっても、主役はあくまでも自然界の環境音であるというバランスが、絶妙に保たれている。

力強いタッチのピアノの和音が入るたびに、地表から湧き出す無限のエネルギーを音楽が吸い取っていくかのように、凄まじいパワーがゆっくりと静かに音楽の中に広がっていく。あたかも、パーカッションの厚い音の層から生まれたパワーと、同時に鳴る10種類のフィールド・レコーディングの音の集合体から生まれたパワーが合わさって、それまで静かに身を潜めていた大自然の命が、音楽の中に乗り移ったかのようだ。が、圧迫するような感じは全くなく、呼吸をするように自然に展開していく推移と流れが美しい。いつのまにか、人間が創り上げたものの限界を超えた、畏怖の念を起こさせる圧倒的な力が音楽の中に宿っている。

ウォレス・スティーブンスの詩「July Mountain」の冒頭の句、「我々は、たった一つの世界にではなく、寄せ集めの星座に住んでいる」という世界観が、音楽に見事に表されている。短い時間の中に、人間と自然との関わり、長い歴史、様々に違った場所で流れる時間、永遠の営みなどが凝縮されているようで、わずか21分間とは思えないほど、長い時間の流れを感じさせる。音楽が終わった後、その場の空気が確実に変わっているような気がする。

10種類のパーカッションから出る様々な音程や周波数の音、様々な場所で録音された20種類のフィールド・レコーディングの音、それらが時間の経過と共にどのようなタイミングで重なり合い、どのような効果を上げていくか。マイケル・ピサロは、それらすべての要素を念頭に置き、各音の緻密なタイミングと持続時間を計算しつつ、しかも自然界の音のニュアンスを損なわないデリケートさを保ちながら、環境音とパーカッションによる壮大な交響曲を完成させた。計算されたすべての音の動きがスコアの中に緻密に記されているにも関わらず、そこから生まれた音楽には自然な流れが生まれ、人為的な要素はまったく感じられない。過去にピサロが「Transparent City」や「Only - Harmony Series 17」でも試みた演奏者と環境音の共演というテーマが、この作品ではさらに一段高いレベルにまで引き上げられ、画期的ともいえる音楽を生み出した。増幅された大自然の声と命が曲全編に息づく、マイケル・ピサロの傑作作品だ。


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