なんだかんだと理由をつけてニューヨークへの移住を取りやめて、日本に残る決心をしたものの、この3ヶ月の間にいろいろ考えた末に、やはり当初の予定通りニューヨーク移住のビザの手続きを再開することにした。

すでにアメリカ大使館から最後の書類が届いていて、後は申請書と健康診断書と警察証明をそろえて面接を受けるだけというところまで来ていたのだし、とにかく今はこのままビザを取って、この先のことはニューヨークに行ってから考えよう、という気になった。ビザ申請の締め切りは3週間後。もしこのまま計画を取りやめてしまったら、後で後悔するかもしれないと思った。

戦争好きなアメリカが怖くなったこと(アメリカ人ってなんであんなにケンカ好きなんだ?)や、ニューヨークという街の猥雑さ(結局はポルノとバイオレンスが好きな人たちの街なんじゃないの?)とか、アーティストたちの売り込みの激しさ(でもそうやって売り込んでいかないと生活できないからしかたないんですけどね)とか、いろんな現実にうんざりして気持ちがすさんでしまっていたのだけれど、いやならいやでこれから自分の好きな場所を作っていけばいいじゃないか、別に「ニューヨーク人らしい」生き方をしなくても、自分流でほかの誰とも違う生き方をしてやろうじゃないかと、最近開き直りの境地になってきた。

これはもう家族と同じようなもので、嫌いなところをあげればきりがないけれど、そういうのを通り越して一緒に生きてきた街なのである。好むと好まざるとにかかわらず、私にとっての「家」はいつの間にか日本ではなく、ニューヨークの中に形作られてしまっていたのだと、この3ヶ月日本で暮らしてみて痛感した。それは自分で(初めてニューヨークを訪れた時から)努力して築いてきたものだし、住んでみたらやっぱり変なところだったから日本に帰っちゃおう、などという風に簡単にはすまないくらい、そこには私の根っこがある。生まれて初めて「自分が心から住みたい」と強く願い、その夢を実現させようとがんばってきた街なのだ。年老いた両親の面倒を見たいからとか、国民健康保険で医療費が安いからとか、日本に残る口実はいくらでも見つかるけれど、私はすでに一大決心をもって、アメリカで新生活を始めることを選んだはずである。その生活を始める前に、逃げてはいけないと思った。とりあえず、いつか本当に苦しくなるまでは、そこにとどまってみようと思う。

やっぱりニューヨークに行くことにしたと伝えたら、知り合いたちは皆ほっとしたように喜んでくれた。どうやら私はたくさんの人を心配させていたらしい。こんなにわがままで気まぐれで変わり者の自分を温かく受け入れてくれる街なんて、おそらく地球上を探しても他にはないだろう。いつの間にか、自分でも気づかないうちに、私はそんな生活を歩んできてしまっていたのだ。

でも今回日本に帰ってきて、日本のよさや日本人の美点をしみじみと感じて、日本をようやく心から好きになれたような気がする。こんなに平和に無邪気に人々が暮らせる国は他にないかもしれない。日本をきらいになったからではなく、そういう温かい心境で日本を離れるのは、おそらく正しいことなのだと思う。

米ダウンビート誌の8月号に、AMPLIFY2002のボックスセットのレビューが4つ星入りで載っているのを発見。こういうのをメインストリームのジャズ雑誌に載せちゃっていいんでしょうか?と不思議に思いながらも、ちょっとうれしい。アクセル・ドゥナーも同じページに写真入りで紹介されているし、最近のジャズ雑誌はあなどれない。でも誰が買うんだろう。

このボックスセットに入っているDVDのドキュメンタリーは、チェコプラハの映画祭に出品されて話題を呼んだらしい。(って、誰も見に行っていないが。)あれさっきからフィルムが止まってんじゃないの?と思わせるほど静閑な杉本拓のカルテットは、ヴィジュアル的にもなかなかインパクトがあるのだけど。

え? 今日36度もあったんですか? エアコンなしの生活にすっかり慣れてしまって、そんなに暑いと思わなかった。慣れってすごい。