Opening Gala Concert of NY Philharmonic 2018 w/Jaap van Zweden

On Friday, in the first half of the Opening Gala Concert program, The New York Philharmonic under its new music director Jaap van Zweden, along with pianists Katia and Marielle Labèque, performed the NY premiere of Philip Glass's Concerto for Two Pianos and Orchestra.

The opening movement of Glass’s concerto began with brisk, rhythmic sounds from the orchestra and the pianos, evoking a series of silvery white lights arising vertically from the stage in a clean structure. While maintaining crisp tones, there was also a pliable texture both in the sounds of the orchestra and the pianos. The same short melodies were repeated like a pulse, gradually transforming in a seamless flow, creating a positive energy, which evoked the throb of New York City and its people - like watching a fast-forwarded film of the decades passed by in the history of the city.

Although there seemed to be a slight discordance between the rhythms of the orchestra and the pianos at the very beginning of the first movement, soon the music came to the right timing between both. The rest of the performance was in a perfect rhythm, starting to express the subtle, silky transformation of sounds and a stereoscopic effect. The Labèque sisters' pianos were humbly in tune with the orchestra, adding sensitive touches to the music without obscuring the clean sounds of the orchestra. In the last slow movement, the music took on an ethereal feel, lending a hint of nostalgic lyricism to the air.

Giving a solid body to the clean structure of the concerto, van Zweden led the orchestra and the pianos to a natural flow, while breathing life into the music. The subtle but noticeable freshness in every moment when the texture of the sounds changed quickly was memorable. The pureness of the sounds was constantly maintained throughout the piece, while the crisp repetitions of simple short phrases created vigorous energies. All the elements in this concerto felt so natural. After the performance, the conductor, the orchestra, the pianists - and the composer - were greeted by a standing ovation. It was thrilling to see a contemporary classical piece so favorably received by such a large portion of the audience who filled the entire hall.

In the second half of the Friday night, The New York Philharmonic under van Zweden performed Mahler's 5th Symphony - and they performed it splendidly. The sound structure was simple and lucid, yet so moving with deep human warmth with the right amount of a poetic touch - exactly how I would like to hear the performances of Mahler's symphonies. The subtlety of van Zweden's conducting in the moments when the textures or the flow changed (and also at the very end of each movement) were even more breathtaking than his conducting in the previous Glass piece.

In the past, I did not have so much luck in experiencing good live performances of Mahler's 5th Symphony (often they tend to be too heavy or too emotional for my taste, or too chaotic with messed up timings), but Jaap van Zweden's Mahler 5th on this night was simply touching - blowing all those negative impressions away. It maintained a great tension and a seamless elegant flow throughout the piece, precisely timed with clear-cut sharpness, while being warm and compelling with deep, solemn reverbs, but never being overdriven or falling into a heavy mass. The balance between lyricism and coolness was exquisite. It was like Bernstein was singing Mahler elegantly with the moderate tempo in a clean structure of Boulez's conducting. Every moment was moving and refreshing - as if I were hearing this great symphony for the first time. It was definitely one of my favorite performances of Mahler's 5th Symphony, among all the live concerts and recorded versions that I ever heard in the past. I will definitely check out future concerts of The New York Philharmonic under van Zweden this season.

ニューヨーク・フィル・オープニング・ガラコンサート

2017年9月22日(金)@David Geffen Hall - 8PM   

ニューヨーク・フィルハーモニックの2018年シーズンの開幕となったオープニング・ガラコンサートに行ってきました。演目は、フィリップ・グラスの新曲「2台のピアノのための協奏曲」(NY初演)と、マーラー交響曲第5番。今回は、知人の音楽評論家の招待で、なんと1階中央のプレス席で聴くことができました。周りには、NYタイムズなどニューヨーク周辺のメディアの音楽評論家やライターの姿もちらほら。

同行した知人の話によると、1階のオーケストラ席の中央通路沿いにプレス席がある理由は、その昔、ニューヨークの活字メディアの記者達が、〆切(夜11時頃)までに音楽評を書き終えるために、演奏の最後の音が終わるか終わらないかのうちに立ち上がって急いで通路を走ってホールを出て、自社オフィルに戻ることができるように(周りに気づかれず速攻で出口まで走っていける場所ということで)、このエリアがプレス席になっていたらしい。長い演奏の時は、最後まで聴いていたら〆切に間に合わないので、当時のNYでは、ワーグナーのオペラを最後まで聴き通して評を書いた評論家は一人もいなかったのではないか…というジョークもあるとか。今はもう昔ほど原稿の〆切は切迫していないので、記者達も公演後に急いでダッシュしてホールを出なくても良いそうだけれど、往事の伝統が何となくそのまま残されていて(というかたぶん今さら別のセクションに移すのも面倒なので)、今も同じエリアがプレス席になっているらしい。

ということで、前半は、ミニマル・ミュージックの巨匠フィリップ・グラスの新作「2台のピアノのための協奏曲」(2015)。指揮は、2018年シーズンからNYフィルの音楽監督に就任するヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。2台のピアノの演奏は、カティアとマリエラのラベック姉妹。ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンがNYフィルの音楽監督に就任して初めての公演ということで、満席の会場には、期待感が立ちこめている。

 オーケストラと2台のピアノから、白銀を思わせる澄み切った音が、リズミカルに交錯しながら次々と生まれ、小気味良くクリーンな曲構造を立ち上げていく。白銀のイメージといっても硬さや冷たさはなく、しなやかで柔らかい質感の音には、清々しく明るいポジティブなエネルギーが宿っている。リズミカルに反復される短いフレーズが、滑らかに繋がりながら徐々に変容していき、ニューヨークという街で脈打つ鼓動の力強さと、この街に生きる人々のポジティブなエネルギー、繰り返しの日常の中で少しずつ変容していく街のイメージと、うっすらと重なっていく。冒頭部では、オーケストラとピアノのリズムが若干噛み合っていない違和感もあったけれど(あるいはそれも作曲の狙いだったのかもしれないが)、第1楽章の中盤からはオケとピアノ2台のリズムがぴたりと合い、フィリップ・グラスらしい滑らかな音の変容と立体感が美しく表現されていた。オケのクリーンな響きを損なわない控えめさで、透明感あふれる繊細な音色を出していたラベック姉妹の息の合った2台のピアノもとても良かった。

ズヴェーデンの指揮は、見通しの良いクリーンな曲構造の中に生命の瑞々しい息吹と温もりを吹き込み、控えめな丁寧さで自然な流れを生みながらも、手応えのあるしっかりした肉付きを与えていく。音の質感がすーっと変わる時の、さりげない変化もとても新鮮だ。澄み切った音色の中にほのかな詩情とノスタルジーが漂う緩徐楽章では、ガラス窓越しに流れる静かな風景を思わせた。

演奏後は、会場総立ちのスタンディングオベーションに「ブラボー!」の声が飛び交う。前半部の現代音楽曲の後にこれほどの歓声が上がるというのもすごい。私が90年代頃にフィリップ・グラスを聴いていた頃は、ミニマルな曲という印象が強かったけれど、20年以上経った今聴くと、ミニマルというよりは普通に音楽として楽しめる曲だと思った。旋律や和音、音の強弱やテンポの変化が生み出す効果で聴き手の心を動かすというよりも、音そのものの純粋な響きの透明感や質感の微妙な変化、シンプルなフレーズの反復から湧き出すように生まれる自然なエネルギーが、この音楽の魅力だと感じた。

           (休憩時間) 

 後半は、マーラー交響曲第5番。第1楽章の冒頭では、トランペット・ソロの澄んだ豊かな音色のファンファーレが、清廉な空気の中に響き渡る。高らかに響く金管の音色に打楽器と低弦の重厚な響きが厳かに重なり、静けさの中に不穏な空気が生まれるこの部分は、過去に他のオーケストラで聴いた時には、音程や縦のリズムが若干ぐらつく気がすることが多かったのだけれど、今日のNYフィルは、しっかりした音程とリズムで見事にこの部分を演奏してくれた。この不動の安定感は素晴らしい。弦楽器の合奏の憂いのある旋律がゆっくり始まると、その深く潤いのある豊かな歌心に、以前観たドキュメンタリー映画のワンシーンでバーンスタインマーラーを指揮していた時の姿が重なって見えるような気がした。

オーケストラの一つ一つの楽器が、濁りのない澄んだ音色で丁寧に音の層を重ね、音楽に奥行きと深みを与えていく。清々しさと深い憂いが同居するニューヨークフィルの響きは、重すぎることもなく、あっさり流れていくこともなく、聴き手の心に深い刻印を押していく。複雑な音の層でホールを圧倒的な響きで満たした直後に、ヴァイオリンの静かな合奏部へとすっと切り替わる時や、各楽章の最後の音が消える瞬間に、はっとさせられる新鮮さがある。(余談:周りの席の音楽評論家達が、そのたびに「はっ」と耳をそばだてる気配が感じられたのが面白かった。)ズヴェーデンの指揮は、この音楽の「質感」が変わる時の繊細で丁寧な処理が、息を飲むほど美しい。そして、情緒的になりすぎないぎりぎりのラインで、たおやかに歌心を織り込んでいく手際に、ズヴェーデンの指揮者としての際立つセンスを見た気がした。

マーラー交響曲第5番は、過去に何度か他のオケで聴いた時には、感情移入されすぎて重く感じられたり、楽器の各セクションのリズムが(特に後半に)ばらばらになって緊張感が失われたり、緩徐楽章の旋律があまりにも耳に馴染みすぎていて新鮮さが感じられなかったり…などの理由で、実は今まで気に入ったライブ演奏に巡り会えたことが一度もなかった。でも、今回聴いたズヴェーデン指揮ニューヨークフィルのマーラー5番は、冒頭から最後まで一瞬たりとも緊張の弛みを感じさせず、オケの各パートの縦のリズムがずれる瞬間もなく、終始ぴたりと合うタイミングで、たおやかにひとつの大きな「音楽の流れ」を生み出していた。聴き慣れたはずの5番という曲が、まるで初めて聴く音楽のように新鮮に聴こえ、あざとさのない素直で自然体の演奏の奥から、マーラーの魂の真摯な声が聴こえてくるような気がした。アダージェットでは、マーラーの妻アルマへの愛情が感情や感傷を超えた崇高な次元まで高められ、永遠の領域へ運ばれていくのを見つめているような、透明な美しさに包まれた。

 公演を聴き終わってから24時間以上たった今も、マーラー5番の曲中のあちこちのフレーズが、ふとした瞬間に、ふわっと鮮やかに頭の中に蘇ってくる。バーンスタイン時代のニューヨークフィルの演奏は、もしかしたらこういう歌心を湛えていたのではないかとか、ブーレーズ時代にはこんな風に澄み渡った音を響かせていたのでは…など、いろいろ想像を膨らませてくれる演奏だった。

 まさに、ブーレーズの指揮の見通しの良い明晰な音の層の中に、バーンスタインの人間的な温もりや深い哀愁が宿ったかのような、静かにそして深く心を打つ演奏。それがズヴェーデンの指揮の魅力かもしれない。そのどちらの個性とも深く関わってきた伝統のあるニューヨーク・フィルだからこそ、ズヴェーデンの指揮の持ち味を素直に受け入れて、今後様々な名演を残していってくれるのではないかと期待している。本当に、まるで長年共演を続けてきた指揮者とオーケストラのように、一分の隙もなくぴたりと呼吸のあった演奏で、オケと指揮者の「相性が良い」というのは、まさにこういう関係のことを言うのだなとしみじみ思った。

 今回見たズヴェーデンの指揮の印象をまとめると、オーケストラのチューニングや全パートの縦の線が終始乱れず、きちっと合っていたこと、曇りや濁りのない透明感のある明瞭な響きが出ていたこと、弱音や音の始まりと終わりの処理がきわめて繊細で丁寧だったこと、狙いすぎない控えめなメリハリで新鮮な息吹を随所に吹き込みながら、継ぎ目を感じさせない滑らかな曲線で自然な音楽の流れを作り出していたこと、そして懐の深さや人間性の豊かさを感じさせる素朴で哀愁に満ちた歌心に溢れていたこと。ニューヨーク・フィルの伝統とも言えるマーラーを演奏するのに、まさに理想的な指揮者という気がした。

前回、火曜日の初演ガラコンサートの日のレビューを読むと、演奏が勢いよく疾走し過ぎて、丁寧さに欠ける演奏だったという酷評もあったようですが、その反省(?)からか、2回目のこの日の演奏は勢いに走りすぎることは全くなく、非常に落ち着いた、クールさと熱さのバランスが秀逸な名演だと思いました。

 (余談ですが、リンカーンセンター内のホール入口は、今シーズンからセキュリティが強化されて、空港のセキュリティチェックのようなゲートができて、開演前に長い列ができていました。今後コンサートに行く人は、早めに到着して列に並ぶ方が安心かもしれません。あと、1階の中央席で聴いた印象は、マーラーなど大編成のオーケストラの時は特に、各楽器セクションの音が鮮明に分離良く聴こえて、音楽の流れや質感の変化がクリアに感じられるように思いました。ただ、ピアノの音は、1階で聴くより2階席以上の上方で聴く方が、倍音の広がりが豊かに聴こえるような気がします。)

※追記:次回のズヴェーデン指揮のNYフィル公演は、来年3月のストラヴィンスキー春の祭典」と、ユジャ・ワンとのブラームス「ピアノ協奏曲第1番」を聴きに行く予定です。