Jürg Frey - Piano Music (piano by R. Andrew Lee) - review in Japanese


ユルク・フレイによる2つの作曲作品を収録したCD「Piano Music」が、米国のピアニスト、アンドリュー・リーによる演奏で、「Irritable Hedgehog」から昨年末にリリースされた。「Irritable Hedgehog」は現代音楽の新しいレーベルのようで、ピアニスト名もレーベル名も今まで聞いたことがなかったのだが、このCDを初めて聞いた時に、アンドリュー・リーのピアノの音とフレイの作曲に強烈に耳が惹き付けられた。個人的に、昨年聴いた全作品リストの中のベスト盤だと感じている。

ユルク・フレイのピアノ作品は、音そのものの存在を聴かせるというよりは、音と沈黙の間にある微妙な境界線や、音と沈黙がオーバーラップする瞬間の美しさ、その過程のグラデーションの淡い変化を浮き彫りにするような音楽だ。ピアノの余韻がフェイドアウトしていき、すっと沈黙の中に吸い込まれるように消える瞬間、沈黙の存在感が静かな緊張感を伴って浮き上がる。ピアノの音がもたらす質感、手応えのある重みが、空間の中で立体的に配置され、それらの音と音の間にあるもの(時間と空間)が、覚醒された意識の中で、目に見えるもののように浮き上がってくる。フェイドアウトする音の余韻の美しさが、あたかも時間と空間を揺らすかのように感じられ、そこには時間の流れに対する感覚を揺さぶるような静かなパワーがある。これは、マイケル・ピサロの「Black, White, Red, Green, Blue」を聴いた時の感覚にも似ている。

アンドリュー・リーのピアノは、印象派的なカラフルな演奏で聴き手の感情を揺らすピアノではなく、聴き手を取り巻く空間と時間に対する感覚を揺らすようなピアノ演奏だ。そのピアノの音には、色彩ではなく、微妙に明度を変化させる白さ(whiteness)がある。自我を音や演奏に反映させるのではなく、音そのものの純粋なあり方と、作曲の本来の美しさを、抑制された真摯な態度で浮き彫りにしようとする演奏だ。調和音がもたらしがちな感情や感傷への影響や雰囲気といった副産物を呼び込まず、純粋な音そのものの本質を提示しようとする毅然としたピアノの響きがある。リーは、自らがピアノを通して歌う代わりに、作品そのものに歌わせる。自我をぎりぎりに押さえたそのシンプルでストレートな演奏は、クリスタルを思わせる響きで、ユルク・フレイの作曲作品が持つ白い美しさを際立たせている。

1曲目の「Klavierstück 2」では、中盤で、ピアノの同じ2つの音階(EとA)の和音の連打がゆるやかなテンポでずっと続く(468回)。ここでは、ピアノの和音の余韻が、何かしらの意味や感情を含むのを拒むかのように、音がその音本来の持つ響き以上のものを付帯することを拒むかのように、ゆっくりと、オーガニックなリズムで連打される。同じ和音のシンプルな繰り返しとはいっても、そこには機械的な冷たい印象や平坦な印象はなく、ゆるやかな曲線を思わせる流れの中で、自然な呼吸を感じさせる。リーのピアノ演奏を聴いていて耳を惹き付けられるのは、「和音」の響き方だ。ここでの和音は、複数の音が一つに溶け合って響く和音としてではなく、個々の音が独自性(それは異なる強度の白い光線を思わせる)を保ったまま、平行して立ち並んでいるかのように、凛としてひびく。和音を構成する各音は、その独立した響きと特徴を放っているが、かといって音が孤立しているという感じはない。フレイの作曲の持ち味ともいえる、音と音の繋がり方、音同士の関係の仕方、音と音の間のポーズの取り方、そうした要素が際立ちつつも、全体に自然でオーガニックな流れを生み、聴き手を取り巻く時間や空間が揺れたり伸び縮みするようなシュールな錯覚を生んでいる。

2曲目の「Les tréfonds inexplorés des signes pour piano (24-35)」は、12のトラックに分けられている。ここでも音と音の間のポーズや、サイレンスの配置の仕方には、毅然とした姿勢が感じられるが、かといって堅苦しさはなく、曲全体にオーガニックな生命体を思わせる自然な呼吸が感じられる。ここでも、音が吸い込まれるように消える瞬間に立ち現れる沈黙の存在感が、耳を釘付けにする。トラック7以降は、それまでのモノクロ的に抑制されたシンプルな演奏の後に、白い光がうっすらと天から差し込んでくるかのような、静かな美しさをたたえ始める。その光の中で、人間の心の震えや感情の揺れのようなものが、小さくきらりと瞬く。トラック8からトラック13にかけては、何かがゆっくりと静かに少しずつ上昇していき、調和へと向かっていくようなポジティブな美しさをたたえている。音と音の間の独特のポーズが、時折、時間を止めるような感覚を与えるが、それでも音楽自体が静止するような感じはなく、音楽はゆっくりと展開していく。最後のセクションでは、雲間から陰影の違う美しい光線が差し込んでくるのを見つめているような、静かな感動に包まれる。

アンドリュー・リーのピアノは、誰もいないギャラリーに超然と置かれたミニマルアートのように、シンプルな形と構成でありながら、そのオブジェ(音)を取り巻く空間と時間に対する感覚を、大きく静かに揺らす。そのストレートで曇りのない演奏が、静かにわき出す冬の泉のような清々しさで心を打つ。感情や感傷を一切排したとは言っても、そこにあるのは冷たさではなく、ピアノの音の本質をオブラートには一切包まずに、真摯に見つめようとする純粋なまなざしと、フレイの作曲作品がたたえる美に対する謙虚な畏敬の気持ちだ。自分自身と向き合うというよりも、音そのもの、あるいは作品そのものと向き合った演奏だからこそ、聴き手にも、それらの音の純粋なあり方や作曲の美しさが目に見えるように伝わってくるのだろう。感情や表情、感傷からは解放された澄んだ音の世界であるにも関わらず、音楽を聞き終わった後に、何か大きな慈愛に包まれているような人間らしい感動が残るのは、そのためだろう。


(English translation will be posted later.)


Irritable Headgehog label page:
http://recordings.irritablehedgehog.com/album/j-rg-frey-piano-music

Jürg Frey - pianist, alone (by R. Andrew Lee) on YouTube:
http://www.youtube.com/watch?v=G-bsqg_V4AY