Radu Malfatti / Keith Rowe Recording sessions at Amann Studios in Vienna (11/8-10)

ウィーンのアマン・スタジオでのラドゥ・マルファッティとキース・ロウの3日間録音セッション、本日無事終了しました。音楽観のかけ離れた2人の初顔合わせ、果たしてうまくいくのかどうか不安もありましたが、結果は意外なほどに素晴らしいセッションとなりました。1日目と2日目は各々の作曲作品2曲の他に、別の作曲家の作品を2曲録音、最終日は2人の即興を録音しました。これらは、来年春にアーストワイルから3枚組CDとしてリリースされる予定です。

3日間の録音セッションの中で特に印象に残ったのは、2日目にラドゥ・マルファッティの作曲作品の演奏中に、深く長い沈黙の後で微かに鳴ったラドゥのトロンボーンのクリック音が、まるで生まれて初めて耳に入ってきた音のように、衝撃的なほどのインパクトを伴って感じられたこと。Wandelweiser派の作曲家たちがなぜ音楽の未来の鍵を握っているように感じられるのか、その理由を改めて実感した瞬間でした。



下の写真は、ラドゥ・マルファッティが初日の録音用に選んだWandelweiser派のユルク・フレイの作曲「Exact Dimension Without Insistence」のスコア。左はトロンボーンのパートで、右がギターのパート。「音程のある音は何年も前に自分の演奏から排除した」「同じ音を繰り返し演奏することは絶対にしない」という独自の信念に基づいたスタイルを固持してきたキース・ロウが、たった一つの音程のみを繰り返し演奏する…というWandelweiser派のミニマルな作品に挑戦した、注目の録音セッションとなりました。


Score to 'Exact Dimension Without Insistence' (Jurg Frey)

その他の写真は下記のFlickerにアップしました。
http://www.flickr.com/photos/13715378@N00/sets/72157625323682996/


■追記:録音セッションを終えて(11/12)

初日と2日目に4つの作曲作品を演奏し、最終日に即興を演奏する…という3日間のセッションを、演奏者2人が演奏しているその場の空気をシェアしつつ聴くことにより、作曲(特にWandelweiser派の作品)と即興における「音」の聴こえ方の違いや、時間の流れや空間の密度の違いといったものが、抽象的な概念ではなく具体的に手に取るように感じられて、非常に貴重な体験となりました。「即興」という、本来あらゆる可能性を秘めているはずの自由なスタイルよりも、時間や枠組みや音の選択やタイミングなどが具体的に指定されている「作曲」の方が、なぜかより一層、「音」の広がりや深さや新たな次元を感じさせ、「音」に秘められた無限の可能性を実感できたのも、貴重な体験でした。もしこれが、ラドゥ・マルファッティではなく別の(即興系の)演奏家とキース・ロウの共演だったとしたら、おそらくこれほどの「目からウロコ」的な体験は起こりえなかっただろうと思います。

特に、最終日の即興演奏が始まって数分後に、いつものようにラジオの音を流し始めたキース・ロウに向かって、「すみませんが、そのラジオを止めてもらえませんか? お願いします」と静かに言い放ったラドゥ・マルファッティには、思わず心の中で拍手を送りたくなりました。常套句に陥ることをきっぱりと拒否するマルファッティの姿勢には、8年前に東京で開かれたアンプリファイ・フェスでキース・ロウとギュンター・ミュラーとのトリオであえて音を出すことを拒否した杉本拓の勇気と似たものを感じました。音楽を停滞から救い、未来へと進めていけるのは、こうした勇気なのだと改めて実感した瞬間でした。

今回、ラドゥ・マルファッティとキース・ロウの録音セッションに立ち会ったことで、現在の即興演奏が陥りやすい問題点(あるいは停滞の原因)と、作曲の可能性という今まで漠然と感じていたことや、なぜWandelweiser派の音楽にそうした停滞を打ち破る突破口を感じられるのかといったことが、より明確に見えてきたように思います。これについては、後日改めてじっくり書きたいと思っています。