Michael Pisaro / mind is moving I (EWR 0106) 和文

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木々が静かに呼吸する 遠く喧噪を離れた場所

□ Michael Pisaro / mind is moving I (EWR 0106)

過剰なノイズに満ちたこの世界で、静けさと穏やかさを見つけることはとても難しい。小さな囲いの中に種々雑多な音とイメージが次々と現れ、時間と競争するかのように目の前を通り過ぎていく。あの永遠を感じさせる尊い時間や、無限の広がりを感じさせる空間は、もはや空想の世界でしか体験できなくなってしまったのだろうか。

2001年にEdition Wandelweiserからリリースされたマイケル・ピサロの初期のギター・ソロ作品「mind is moving I」(作曲と録音は1995年)は、日常の中で失われつつある「沈黙の美しさ」を、まばらなギターの音と静寂により丁寧に描いた作品だ。音楽が始まった瞬間に、それまで自分を取り囲んでいた現実空間の雑音が薄れ、新たに別の空間がそこに生まれていることに気づく。その澄み切った空気には、いつか遠い昔にどこかで体験したことのある、長い間忘れていた静寂のやさしさが含まれている。

小さな生き物が息をひそめて耳を澄ましているかのような神秘的な沈黙の中に、間を置いてギターの弦の音が一音ずつ投じられる。弦の振動から生まれる微かな倍音が、半透明な和音を空気中に放ち、樹木が静かに呼吸するかのように澄んだ空気を送り込んでいく。全体的に控えめに設定された音量が、聴き手と音楽との間に広がりのある空間を生み、風景の輪郭をなぞるように丁寧に投じられるギターの一音一音が、時間の経過と共に、その空間に広がりと奥行きを生んでいく。時折入る口笛の音が、何の色づけもない無色の風のように現れ、イメージの中の空間を吹き抜けていく。余韻を最低限に抑えたギターの音は、澄んだ空気を決して濁さないまま空間の中に吸い込まれ、静かに記憶の中に留まる。沈黙の間の中にも、音が鳴っている時と同じ空気の震えが感じられる。

すべての音は、その音程や音の強さ(非常に柔らかく静かな音)、弦の弾かれ方、倍音の生み方、音の持続時間やタイミングなど、綿密に作曲されスコアに記されている。そのように細部に至るまで計算され尽くした作曲作品であるにも関わらず、演奏された音楽には、即興で演奏が行われたかのような自然な流れが生まれていることに驚かされる。「作曲とは自然界のリズムと呼吸を人工的な規律の中に押し込めるもの」というイメージを根本から覆す、あたかも禅僧が無の境地で音を出しているかのような、神秘的とも言える自然なパワーが音楽の中に宿っている。かたくなに1カ所に留まろうとする音はひとつもなく、すべては自然と一体になり、時間と共に流れていく。その音楽は、どこまでも自然体でありながら、その場の空気を(環境音の聴こえ方をも)確実に大きく変えてしまう力をも秘めている。

「4'33"」において、あたかも空気に唐突な穴を空けるかのように、沈黙を緊張感に満ちたものとして挑発的に提示したジョン・ケージの沈黙とは違い、マイケル・ピサロが提示する沈黙は、空気の流れと時間の流れを乱さず、自然な形で音楽の中に存在している。ピサロの音楽に含まれる沈黙には、禅を希求して自らの音楽に表現しようとした多くの西洋の音楽家のアプローチには見られなかった自然さがある。森に樹木が存在するように、マイケル・ピサロの音楽の中には、禅的な沈黙がごく自然に含まれている。その自然さが、音楽が演奏された空間とリスナーが音楽を聴いている空間を、時空の壁を越えて瞬時に結びつけている。


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