Michael Pisaro - Transparent City (Volumes 1 and 2) (EWR 0706/07) 和文


2004年12月から2006年8月にかけて、ロサンゼルスでフィールドレコーディングされた音源に、サイン音がミキシングされている。各トラックは、1カ所で録音された無編集の10分間で、それぞれ最後に2分間の沈黙が加えられている。車の行き交う音、ヘリコプターや飛行機が頭上を通り過ぎる音、小鳥のさえずり、浜辺で遊ぶ子供達の声、駅の構内のざわめきなど、ごく日常に聴こえてきそうな音が、ごく日常で聴こえてくる音量で再生される。それゆえか、実際に外で聴こえている音も、音楽の一部のように聴こえてくる。突出せずに抑えられた音量が、自分とフィールド音との間に程よい距離のある空間を生んでいて、その「少し離れた遠くで何かが起きている」という感覚がとても心地よい。

Volumes 2では、全体的に音量がやや大きめに設定され、5曲目では、飛行機が頭上を通りすぎる音が迫力ある音量で再生され、そこにかぶさるサイン音の重低音と共に、不穏な空気を含んだ轟音がじわじわと迫り来る。それまでの心地よい距離感がここでは一変し、フィールド音と聴き手の自分との間の壁が次第に取り払われていくかのように、音と聴き手である自分が重なり合い、両者の間に一体感が生まれる。この作品のクライマックスともいえる所であり、音楽と聴き手の間の距離感というものが、いかに心理的に影響するものなのか、改めて気づかされる瞬間でもある。が、終始、現実音の生々しさのようなものは、そこには不思議とない。顔面にぶつかってくるような角のあるフィールド音ではないがゆえに、音のすき間にふとした「ぶれ」や「揺れ」が生まれ、その空気中に生まれる「ぶれ」や「揺れ」が、微妙に投じられたサイン音と重なり、静かなパワーを持っていつしか耳を釘付けにする。(ピサロのサイン音の使い方には、日本人の細やかな感性を思わせる繊細さがあるのにも驚かされる。)

ピサロは、環境音とサイン音を絶妙のバランスで融合させることで、作品全体を調和のとれた音楽のように聴こえさせている。それはまるで、細部の音に注意深く耳を傾けながら演奏するミュージシャンたちの息の合った見事な共演を聴いているようだ。各トラックの最後の2分間の沈黙は、脳の中に音の余韻がまだ残る中、「かすかにぶれた非現実空間」から「現実空間」へ、ゆっくり時間をかけて舞い降りていくような感覚があって、とても良い。


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