アート作品と音楽はどこまで共鳴できるのか(1)

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昨年6月1日と2日、米テキサス州ヒューストンの「メニル・コレクション」美術館で開催された「Sound Observations」に行ってきた。この2日間のプログラムの初日は、ロスコ・チャペル内でローレン・コナーズ(ギター)とキース・ロウ(テーブストップギター/エレクトロニクス)の各ソロ演奏、2日目はリッチモンド・ホールでSachiko M(サインウェーブ)とショーン・ミーハン(パーカッション)のデュオだった。

初日のコンサート会場のロスコ・チャペルは、無宗派の教会で、通りがかりの人でも誰でも自由に入ることができるオープンな場になっている。週末には、クラシック音楽や実験音楽、朗読などのイベントも時折開かれている。高い天井の中央には室内の明るさを調節できる円形の天窓があり、その真下に円形の演奏スペースがある。演奏スペースを取り囲むようにぐるりと椅子が並べられ、その背後の六角形の壁には、マーク・ロスコの晩年の黒い巨大な絵画6作品が常設されている。暑い夏の日中でも、このチャペルの中でロスコの黒い絵画に囲まれて座っていると、何かしら厳かな空気に包まれるような気がする。

ロスコ・チャペル内の絵画は、かつてマーク・ロスコ独特の画風だった赤や黄や青や緑などの温かみのある色彩の世界を拒絶するかのような、「黒」の世界で統一されている。黒といっても、白から黒へ向かっていくモノトーンの黒とは違い、色彩のあるものが黒へ向かっていった時の「黒」である。それぞれの絵画をじっと見つめていると、その奥にかつてそこにあった紫や赤や緑といった色彩の面影が見えてくる。

さらに、天窓から射し込む光の具合で、その黒の濃さや色合いは微妙に変化する。なので、午前9時に訪れた時と、午後4時に訪れた時では、絵の見え方が意外なほど違う。そうして何度も足を運ぶうちに、やがて初めのうちは漆黒に見えていた絵の中に、横に走る線や山の連なりのような曲線や格子柄のようなかたちが、暗闇の中に浮かび上がる遠い風景のように見えてくる。かつてカラフルな色彩と暖かく柔らかい光に包まれていた幸福な世界に、何かの終演を告げる重い幕が下りた後という感じもある。60年代後半、うつに悩まされて酒とドラッグに溺れた上に妻との破局を迎え、70年に自殺するまでの晩年のロスコの内面が垣間見えるような作品群である。

一方、もう一つの会場となったリッチモンド・ホールには、コンクリート打ちっ放しの長方形の広い室内の左右の壁に、ダン・フレーヴィンの色彩豊かな蛍光インスタレーションが展示されている。こちらは、重厚感のあるロスコ・チャペルとは対照的に、赤や黄や青や緑のカラフルな蛍光灯が、広大な白いコンクリートの室内を、天上を思わせる明るい光で演出している。この部屋にも天窓があり、見上げると、くっきりとしたテキサスの青空と白い雲が見える。まさに「地上と天上を結ぶ部屋」のような役割を果たしている。

黒い空間のロスコ・チャペルも、白い空間のリッチモンド・ホールも、どちらも共通しているのは、現実の世界とは遠いところにある「別の空間」としてのイメージである。いわば最も黒くて暗い世界に繋がっているロスコ・チャペルと、最も白い光に満ちた世界と繋がっているリッチモンド・ホールのそれぞれの空間において、即興演奏家たちはどのようにその「空間」と対峙するのか。そこにはどんな違和感が生じ、どんな共鳴が生じるのか。そうしたことを、その場でじかに感じてみたいと思った。