ボブ・ディランのドキュメンタリー映画


マーティン・スコセッシ監督によるボブ・ディランの3時間半に渡るドキュメンタリー映画が数日前に放映されて、ちまたでは話題になっているようだ。ボブ・ディランの歌というのは、世代的にずれていることもあって個人的にはあまり共感が持てないのだけど、この人はアメリカではほんとに国民的なヒーローだったのですね。ああいう荒削りな歌いっぷりというのが、アメリカ人にとってはたまらないらしい。日本人にとっての味噌汁的な存在なのだろうか。

それにしても、あのフォーク全盛期の60年代のヒッピー・カルチャーというのは、今みるとほんとに巨大な怪しい宗教みたいにおぞましく見える。音楽に政治的なメッセージとか体制への批判とか、そういうものを期待するヒッピー集団が、当時はほんとに社会を仕切っていたのかと思うと、ああ怖い。無害なアコースティック音楽に嫌気がさしてエレクトリックな演奏へと暴走したくなったボブ・ディランの気持ちがよくわかる。フォークの祭典でボブ・ディランがいきなり演奏し始めた「ライク・ア・ローリング・ストーン」に対して観客が総勢でブーイングを始め、親しいミュージシャン仲間までもが「なんてうるさい演奏なんだ!」と怒ってスピーカーのケーブルを切ろうとしたというエピソードはなかなか面白かった。あんなにソフトでポップでメロディアスな曲が堪え難い大音量ノイズとして受け取られていたなんて、ノイズ大好きな私としては恐ろしい時代である。あのヒッピー聴衆たちに現代のピタやサイティングスやヘアポリスやジャズカマーの大音量ノイズを聴かせて、クモの子を散らすように追い払いたいという妄想すら浮かぶ。

ボブ・ディランへのメディアのインタビューでは、誰もが彼に政治的なメッセージを期待していたのも笑えた。当時、フォーク畑から出てきたミュージシャンは、誰もが歌に政治的な反戦のメッセージなどを込めるのが当然だとされていたらしいけれど、「歌う時にはそんなこと考えちゃいないよ。歌いたいから歌うだけさ」と空とぼけて答える彼への、メディアの執拗な反撃もいったい何なんだか。誰よりもまともなことをやったり言ったりしているのに、「そんなのはおかしい。アーティストなんだからメッセージというのを持てよ」という周囲の押しつけも怖い。だいたい、ドキュメンタリーの中で当時の恋人だったボブ・ディランのことを、「あの人は何を考えてるんだかわからないのよ。ほんとに変わり者なんだから」とこぼしていたフォークの女王ジョーン・バエズの、あの単調なトーンで気を滅入らせる退屈な歌声が私は大嫌いだったのだ。音楽に政治的なメッセージを込めるミュージシャンというのは、駅前の赤い羽募金と同じくらい押しつけがましくて偽善的でうっとおしい。ものすごくまっとうな社会の役に立つことをしているのは認めるし、そういうのはとても立派なのはわかるけれど、勘弁してほしい。ヒッピーがほぼ絶滅した今の時代に生きられて、ああよかったとホッとしたのが、このドキュメンタリー映画を見終わった感想だったりして。

AMMが活動を始めたのも実はこの時代の終わり頃だったらしく、キース・ロウは実はボブ・ディランの1歳年上だったというのも驚き。最近はすっかり老け込んでしまい、昔話をぽつぽつと語るばかりのディラン氏に対し、いまだに世界中をツアーで飛び回って次々と新しい演奏を生み出しているキース・ロウはまさに怪物のよう。先週のニューヨークでの3日間のフェスティバルの翌日にはバルティモアに飛んで別のライブをやり、ほとんど徹夜のまま再びニューヨークに戻ってアーストワイル本部で仮眠をとり、そのままシカゴへ飛んで、次はシアトル、そしてまたニューヨークに来週戻ってくるという恐るべきスケジュールには脱帽。その後はすぐにフランスへ戻り、ライブをやって、それからイタリアだったかな。60年代後半には、AMMのライブによくビートルズのメンバーたちも聴きにきていたとかで、AMMの熱烈なファンだったポール・マッカートニーが「後期のビートルズはAMMの影響を受けていた」と発言したという話は有名。キース・ロウの話によれば、ビートルズの中でもっとも実験的で創造的だったのはジョン・レノンだったと世間では思われているけれど、実はポール・マッカートニーがいちばん前衛的で先見の明があったらしい。確かに、後期の不穏な電気ノイズがそこかしこに見え隠れするビートルズの音楽には、現代の音響ノイズに共通するものがあったような気がする。