人種と摩擦


日常的に、人種差別をしていないかといえば、けっしてそんなことはなく、郵便局やスーパーのレジでやる気のなさそうにだらだら仕事をしている黒人たちにイライラさせられることはしょっちゅうだし、水漏れの修理に来たポーランド人は言葉がほとんど通じない上に仕事もちょっと大雑把すぎるんじゃないの?と言いたくなるし、このエリアの不動産を一手に独占しているイタリア系マフィアの人たちのアジア系移民を見下したような横柄な態度にはほんとにむかつくし、じゃあ日本人はアメリカで一番まともなのかといえばそうとも限らず、日本を恋しがる在米日本人を狙った詐欺まがいの商法に味をしめている人も少なくなく、あるいはブッシュ崇拝のキリスト教アメリカ人たちのアメリカ万歳!の思い上がりにもほとほとうんざりしているのだけれど。それでも、ああ、こんな人たちとも同じ社会で暮らしていかざるをえないのがアメリカという国なのだから、という諦めの境地に達して、お互いにあまり摩擦を起こさないように上手に距離を置きながら、共存していくしかないのだし。結局、誰もがそうやって、うんざりしながらもため息まじりに「まっ、しかたないか」と心の中でつぶやいて、通り過ぎていくことができれば、たぶん人種同士の摩擦なんてそんなに起こらないだろう。「ここは私の国なんだから」という勘違いをもったまま、違う価値観の人々を排斥しようとするからこそ、摩擦が起きるのであって、排斥なんてめんどくさいことはやめて、みんなが共存しているこの状態に甘んじることにしてしまえば、戦争だって起きなかったのだろうけど。