オンキョー・マラソン2日間@NY

yukoz2005-04-03

ジャパンソサエティの「オンキョー・マラソン」という2日間のフェスティバルを聴いてきました。場所はミッドタウンの47丁目にあって、日本の文化芸術イベントを定期的に開催しているところです。

出演者は、日本から大友良英、Sachiko M、一楽儀光、竹村ノブカズ、半野田拓、青木孝允、NYからエリオット・シャープ、オブラート、そして今回のキュレーターのカール・ストーン。日本の音響シーンの今を伝えるという意図のイベントらしいのだけど、うーん、このラインナップでいいのかなとちょっと首をかしげたくなったり。でも初日のNY初公演のISO(大友良英、Sachiko M、一楽儀光)とSachiko Mのソロと2日目の大友良英ターンテーブル・ソロは文句のつけどころがないくらい素晴らしかったです。特に静寂の中に凛とした緊張感が透明な糸のように貫くISOの演奏と、ターンテーブル大爆音が炸裂する大友良英のソロ演奏には、世界でおそらくもっとも注目されるべき今の日本の音響シーンの魅力を強く感じることができました。

あと面白かったのは、半野田拓のソロと一楽儀光のドラムス+ビデオのソロ。半野田さんは高周波から低周波までの幅広い音域のエレクトロニクス音を響かせ、そこへグルーブ感のある小気味よいビートを挿入したり、玩具の鳴る音をかぶらせたりして、キッド・コアラ的なかわいさとカッコよさとユーモアのセンスがあって楽しめました。幅広い音域の音を同時に響かせていても、けっして騒がしいとか雑然とした感じのないところにさりげなくも洗練された音へのこだわりを感じました。日本人には稀なユーモアや大陸的なおおらかさも○。

一楽儀光のドラムス+ビデオのソロは、ハードロックのドラムスのビートを、ホラー映画や時代劇やロックバンドのライブや戦争のニュース映像にシンクロさせて演奏するというもの。ホラー映画の恐怖シーンや時代劇のシーンとドラムスのビートをしつこいくらいリピートしたり、ブッシュとか北朝鮮のリーダーの顔アップの後にキッスのライブ映像をつなげるところなどはとてもウケました。でも最後の日本や北朝鮮や米軍の戦争の映像はあまりにも政治的すぎてちょっとどうかなと疑問。なによりブッシュの顔アップを繰り返し映し過ぎだし(アメリカでこれをやるのは勘弁してほしい、ただでさえ見たくない顔なんだから)、その間にコカコーラとマクドナルドの映像を挿入するというのもアメリカのイメージとしてはやや凡庸すぎ。やるならもっとユーモアに徹してほしかった。ブッシュの映像というのは日本ではたぶんもはやギャグになっているのかもしれないけれど、アメリカではシリアスな社会悪として笑えないものがあるのです。…でもそれ以外のビデオ(特に日本の時代劇やロックバンドの映像)は、ドラムスのビートが最高に気持ちよくシンクロしていてとても楽しめました。

ここからはちょっと辛口になるのですが、このイベントにNYのミュージシャンはいらなかったのではないかと思います。ショーン・ミーハンやティム・バーンズらが日本の音響ミュージシャンと共演するというならわかるけど、エリオット・シャープが日本の音響イベントに出演する必然性はどうしても理解できないし(この人のソロはまじで聴覚をいためるかと思いました)、もう一人のNYのオブラートというラップトップ奏者もですが、「音」に対する繊細さという点でとても疑問を覚えました。たとえば大音響のサウンドであったとしても、ピタやメルツバウや大友良英の大爆音はけっして耳を痛めないし、ノイズが聴覚を刺激する部分をきちんと選んでいるというか、とても繊細な気配りがあると感じるので、気持ちよくはあっても不快になることはけっしてないのですが、エリオット・シャープやオブラートが時々放つ爆音はただ単に聴覚をあたりかまわず攻撃するという無謀さがあって、こっちの方が耳を痛めるのではと心配になりました。「ノイズ」についてまたもや考えさせられましたが、ノイズを発する演奏者は、その音のもたらす効果にもっと敏感にデリケートになってほしい。その点で、ピタや大友良英はほんとにすごいミュージシャンだと思う。

あと竹村ノブカズさんはSachiko Mさんとのデュオは良かったのですが、初日のソロとデュオでは全体に「音」を出し過ぎという気がしました。けっして悪くはないのですが、音数が多いわりにはどこかで聴いたことのあるサウンドだなという気がして、これといって耳に残るものはなかったです。ただ今回は「音響」をテーマにしたイベントだったので、主旨の違う場でなら少し違って聴こえたかも知れません。青木孝允さんのラップトップは、…ええとごめんなさい、フェネスのコピー版というかトレンディな東京・青山カルチャーのポップなビートというか、それ以上のものは何も感じられませんでした。でもある意味ではそれこそが東京の(表層的には)リアルなシーンといえなくもないし、単に私が特別にシビアでディープな音にこだわりすぎているのかもしれないし、一般的に多くの人々が好んで聴くのはまた別の音楽なのかもしれないので、私の感想が正しいというわけではけっしてありませんです。これはあくまでも個人的な感想でありますので、お許しを…。

ニューヨークのイベントやライブで聴く演奏に何か言いたいことがあっても、ミュージシャンやシーンの人々に気を使ってなるべく正直な感想は言わないようにしていたのですが、今回はどうしても疑問を投げかけずにはいられませんでした。でもそういうことを真剣に考えさせられる場をもらったという意味でも、今回のように様々に違う場で活躍するミュージシャンたちを一同に集めたこのイベントは、少々ちぐはぐな感じがしたとはいえ、むしろとても興味深い企画だったと思います。

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【追記】・・・今回のフェスティバルについては、その後、会場に来ていたNYのジャーナリストや音楽ファンによる評がウエブ上の掲示板にいくつか載ったようですが、皆ほぼ似たような感想(中にはもっと辛辣な評もあり)が載っていたのが面白いと思いました。まあ初めからつっこみどころのあるイベント内容だとは感じていましたが、有名どころ(?)を揃えたとはいえ、やはり批評家の耳はごまかせないというのはさすが海外のジャーナリズム、“見ざる・聴かざる・書かざる”の日本の音楽ジャーナリズムとはやはり格が違うなと感心しました。

ちなみに会場となったジャパンソサエティの小ホールは、こういう公的な文化施設には珍しく開放感のある自由なレイアウトで、特に音響はトニックなどのライブスペースよりも良いと思いました。こういう電子音やノイズはなかなかライブでの音の再現が難しいと思うのですが、2日目の大友さんのターンテーブル・ソロの大音量などは空気をびりびり震わせる感じが見事に伝わってきてとてもよかったです。せっかくこんなに素晴らしい音響のスペースがあるのだから(しかもマンハッタンの真ん中に)、今後もぜひいろいろ面白い音楽のイベントを企画してほしいと思います。