4時間カルテット@ベルリン


昨日の午後、あらためて昨年のAMPLIFYのベルリンでの4時間カルテットのライブ録音(キース・ロウ、Sachiko M、中村としまる、大友良英)を通して聴いてみた。実際のライブの時は、4時間ずっと椅子に座って音楽の細部に耳を澄ませて聴いていたわけではなく、広い会場をぶらぶら歩き回ったり、写真を撮ったり、床に座ってくつろいだりしながら、わりとリラックスした心持ちで聴いていた。こうしてCD3枚組となって完成した演奏をもう一度じっくり聴いてみると、まったく違う音楽のように聞こえて面白い。「おお、こんな音を出していたのか!」という現場では気づかなかった音にいろいろ気づかされて、聴くたびに新鮮な発見がある。

ひとつとても面白いと思ったのは、1枚目のCDを80分ほどじっくり聴いた後に2枚目のCDをかけると、はっとするほど音の聞こえ方が違っていることだ。1枚目のCDを80分弱聴き続けた後の自分の「耳」が、明らかに変化しているのがわかる。どういう感じかというと、聴覚が感じとる音の領域の幅も奥行きも、1枚目のCDを聴き始めたときにくらべてはるかに深くなっているのだ。これは「音響」という音楽のもっとも面白い特徴で、その「音」をしばらく聴いていることにより、耳(聴覚)があたかも進化したかのように、それまでは聞き過ごしていたさまざまな音の細部を認知できるようになる。もし初めに途中の2枚目のCDから聴き始めたとしたら、おそらくまったく違った音楽に聴こえているかもしれない。80分間の冒頭の演奏を聴いた後だからこそ聴こえてくる音があり、そこで初めて広がる音の世界がある。2枚目のCDを聴き終えておよそ160分が経過した後には、さらに音楽の聴こえ方に深みが加わっているのを感じる。あたかも底の見えない深い井戸を覗き込んでいるうちに、次第にその深みがじわじわと見えてくるような、そんな不思議な感覚だ。

3枚のCDに収録されたすべての演奏を聴き終えたとき、4時間という時間のあり方について、思わず考え込まずにはいられない。そこには日常の感覚ではけっして気づかない「現実の時間」と「脳内を流れる時間」の違いがあり、とてつもなく長い時間が流れたような錯覚とともに、その間に自分の聴覚の何か(=感度とか奥行きのようなもの)が確実に変わったことに気づいて驚く。こうして4時間に渡るノンストップの即興演奏を聴いてみて、「引き延ばされた時間」という表現の意味が、初めてわかったような気がした。

(*この4時間ライブは、ErstLive005として3枚組CDで4月にリリース予定。ライブの写真はこちら。)