ビート最後の日


中古車屋の人が今日、愛車のビートを引き取りにきて、さっき乗って行ってしまった。もう手放すのはしかたないんだと割り切っていたつもりだったのに、ビートが走り去っていってしまった後、涙があふれて止まらなくなった。

物にも人にも執着をもたない性格でありながらも、やはり12年間をともに過ごしてきた車というのはこんなにも愛着がわいてしまうものなのか。ちょうど写真を始めた頃に乗り始めた車で、それ以来自分のやりたいことばかり追いかけて周囲の人たちには多大な迷惑をかけてきた12年間だったけれど、ある意味で軽のオープンカーという形状の(荷物を運ぶのにも友人たちを送るのにも役に立たない)ビートは、そういう身勝手な自分のあり方と似ていたような気がする。そのためか、この車の存在にはずいぶんとなぐさめられてきた。6連奏スピーカーで音楽をがんがんかけながらビートで走る生活と引き換えに、地下鉄やフェリーでマンハッタンにひょいと出られる生活を選んだのは自分である。そういう生活が今まで以上に幸せなものになることを望みたいけれど。