清水俊彦先生、安らかに

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先日、ジャズ評論家で詩人の清水俊彦氏が他界されたと、各音楽関係者のサイトで知りました。思えば1999年の夏に、ニューヨークの実験音楽シーンの自費取材を思い立ったのも、清水俊彦さんの名著『ジャズ・アヴァンギャルド』と『ジャズ・オルタナティヴ』を読んだのがきっかけでした。あの2冊に出会わなければ、おそらく今でも日本の日常に違和感を覚えながらも、会社勤めをしていたかもしれません。あの著書とそこに紹介されていた様々な前衛的な音楽と出会ったことで、日常とは別の「もうひとつの世界」、もっと呼吸をするのが楽になれる世界というのが存在することを知りました。私にとっては、まさに人生を変えてくれた、衝撃的な2冊の本でした。

鋭い視点で書かれた音楽評論であると同時に、美しい詩でもあるという文章は、当時の私にとって驚きであるとともに、「こういう文章も成り立ちうるのか」と、文章表現の無限の可能性を見せてもらえた体験でした。

あの2冊の本は、その後ニューヨークの長期滞在にも持参し、毎日ライブの音楽を浴びるように聴きながら、同時進行で何度も繰り返し読み込んでいました。やがて、実験的なジャズや即興をとてつもないエネルギーで創造し続けるミュージシャンらの演奏を、連日のように聴いているうちに、演奏と同時に頭の中を駆け巡り始めたコトバをメモに書き始め、膨大な音楽の記録が生まれました。それらの記録の一部を、「ニューヨーク日記」として、2000年から『Out There』という音楽誌に発表することができました。


その雑誌を読んだ清水俊彦先生から、ある日突然、長い手紙が届きました。その手紙の一部を、追悼の意を込めて、ここに転載します。たとえ誰に何を言われようと、他人にどう思われようと、自分のスタイルで文章を書き続けていくことの大切さと自信を与えてくれた一通の手紙でした。

<清水俊彦さんからの自筆の手紙より/2001年8月4日付>

座間裕子様

先夜は突然、しかも夜遅くに2度も電話を差し上げ、あなたのお母上様にまでお手数をわずらわせ、まことに申し訳ありませんでした。すぐにお送りするといいながら、今日までのびのびになってしまいましたのは、あなたへの手紙が頭のボケたぼくにはなかなかうまく書けず、3度書き直し、2度目はなんと10枚以上になってしまいましたので、これではいくらなんでも失礼だと思い、3度目のこの手紙になった次第です。なにとぞあしからず御了承いただきたいと思います。

実はしばらく前、青土社のぼくの担当の編集者が「Out There」を2冊届けてくれ、とても面白いから読んでみませんかと言って届けてくれました。早速手にとって何気なく頁を開いたら、なんとあなたの「ニューヨーク日記」でした。あの日記は単なる日記ではなく、日記の体裁をとった実にスリリングで、コトバによる即興そのもので、即興の本質をついたエッセイで、他に全く例のない圧倒的な文章だと思い、こんなすごい筆者(しかも若い女性)が隠れて存在していたのかとびっくりした次第です。

そのあなたにまさか新宿ピットインでお会いできるとは夢にも思いませんでした。しかも、もう1冊の多田さんとの対談では、ぼくのことにまで触れていただき、いささか過大“大”評価されているので、ひどく面はゆく感じながらも、大変うれしく思いました。

(以下、病状のことや、「ジャズ転生」や「美術手帖」のウォーホール特集などを書いていた時のエピソードなど。中略)

猛暑の連続の毎日ですが、くれぐれもご自愛ください。また、だいぶ頭もボケているので、あまりにひどい乱文乱筆になってしまったことをお許しください。

では、お目にかかれるのを楽しみに!!

8月4日 清水俊彦


この手紙をいただいた後に、清水さんには2度お会いしてお話しをし、またピットインなどのライブの場で何度かお目にかかりました。病状がすぐれない時にはひどく苦しんでいたようで、泣きそうな声でお電話をいただいたこともありました。といっても、私には何の手助けもできないまま、その後はお会いする機会も作れず渡米してしまいましたが、「まだご健在だろうか」といつも気にかけていました。

6年前にお会いし、最後の『Out There』の号を1部贈呈した時、タクシーに乗ろうとして、よろけそうになりながらも雑誌を落とさないように、大事そうに抱えながら帰途についた清水さんのお姿が、今も目に浮かびます。

清水俊彦さんへの深い感謝の意とともに、ご冥福をお祈りいたします。