新譜「between」のカバー絵

yukoz2006-03-08


アーストワイルの新譜、キース・ロウと中村としまるの「between」のCDカバーになる絵が、キース本人から届きました。去年の10月にキースから「どこでもいいから、ニューヨークの街角を撮影してほしい。条件は交差点であり、建物のドアが写っていて、ニューヨークではなくどこか別の場所のようにも見える写真」というのを頼まれたのですが、マンハッタンの街角の写真ではいかにもニューヨークという感じで、なんとなくヒップホップやジャズの写真になってしまいそうなので避けたくて、ブルックリンの無人のレッドフック地区に出かけて、倉庫街を撮影した写真数枚の中の1枚が、右の写真。この写真をもとにカバーの絵を描くに至ったキース・ロウ本人のコメントがとても興味深いので、ここに掲載します。

(以下、引用)

私はこの絵を、写真の細部にズームインし、モンドリアン以降の手法で描いた。ニューヨークの街角の写真を使うことで、ニューヨークに移り住んだ後のモンドリアンの作品に見られる変化をも暗示している。これは中村としまると私の作品に見られる変化にも似ている。ではなぜモンドリアンなのか。それはヨーロッパを離れてニューヨークに移り住んだ後の彼の作風の変化に意味がある。明確な色と黒い直線の強調にこだわるのをやめて、より自由な表現へと解放されたモンドリアンの方向性の変化は、この私の絵の右側の部分、輪郭のはっきりした直線が漆黒の領域を通過して、より不確実な赤茶けた色の塊の中へ入っていく部分にも共通している。

こうした作品はすべて地図(アフリカの影響を受けたキュービズムにも通じる)のようにも見える。この地図というのは、変化のプロセスを示す図式でもある。2本の直線(これは中村としまると私、あるいはモンドリアン)は、写真の右側の垂直の壁の中へ、ロスコ風の赤みがかったあやふやで自由な領域へと消えていく。

さらにこの絵は、見えない要素も暗示している。同じ街角が写っているもう1枚の写真(No.11)をあえて選ばなかった理由は、この建物の背後にトラックが映っていたからである。なぜなら、AMMは以前よく「トラック」に象徴されていて、ここであえてトラックの映っていない写真を選んだことは、同時に中村としまるとの共演をも意味し、それはすなわち東京の庭に立っている自分でもある。庭というのが何であるかは問題ではなく、大事なのはAMMというトラックの存在しない風景に立ち、そこから眺めている自分の視点なのである。(キース・ロウ)



そういえば、アーストワイルの「A View From The Window」(041)のカバーでも、キース・ロウは似たような赤茶色と黒を多く使っていたのを思い出した。本人によると、黄色はAMMの象徴とのことなので、初期のAMM作品のカバー絵でよく使われていた黄色の部分が最近は小さくなり、この「不確実でより自由な領域」の象徴とされる赤茶色の部分が増えてきたというのは、そういう理由があったのかと今になって納得。うーん、深いな、キース・ロウ。